El fandango en la frontera

辺境のファンダンゴ。メキシコ在住ライターのラテンアメリカ情報ブログ。

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メキシコ・アヨツィナパ支援イヴェントを警察が妨害 

前作『センブランド・フローレス』が、2014年グラミー賞のメキシコ伝統音楽部門にノミネートされた、ソンハローチョ(メキシコ東部ベラクルス発祥の伝承音楽で、アフロカリブのリズムと先住民ナワトルの文化、ヨーロッパ伝来の楽器や旋律が融合して生まれた300年以上続く抵抗歌)グループのロス・コホリーテス。

その創始者で、彼らを指揮するリカルド・ペリーは、20年以上前にベラクルス州南部の村ハルティパンで、ソンハローチョを中心にした地元ベラクルスの文化保護を目的とするCentro de documentacion de Son jarocho(ソンハローチョ文化センター)を設立した。そこでは地元の青少年たち向けに、ソンハローチョの講座(歴史、楽器演奏、踊り、歌)を開講し、畑や牧場を持ち、ソンハローチョの楽器を作って販売しながら、自給自足の生活をしている。

ロス・コホリーテスのメンバーのほとんどが、ハルティパンを拠点としているので、あまりメキシコシティまでやってくる機会はないのだが、ニューアルバム『サパテアンド(2015年1月11日日本発売)』のリリース記念コンサートのために、メキシコシティへやってきた。(そのライヴ・レポートはAll Aboutブログ『気がつけば、ここはメキシコだった:ロス・コホリーテスのニューアルバム『サパテアンド』リリース記念コンサート』に掲載)

ロス・コホリーテスは、メキシコシティ滞在直前の12月14日、ゲレロ州チルパンシンゴで開催予定だったアヨツィナパ(メキシコ・ゲレロ州アヨツィナパ教員養成学校の43人学生を警察が虐殺した疑いが濃厚な事件が起こり、今メキシコじゅうが怒りに震え、全国各地で連日のように政府への抗議活動が続いている)の支援文化イヴェント『Una Luz en la obscuridad por Ayotzinapa(アヨツィナパ、闇の中のひとつの光)』に出演するため、Panteón rococo(パンテオン・ロココ)、Los Aguas Aguas(ロス・アグアス・アグアス)、Olmeca(オルメカ)ら多くのミュージシャンたちや、主催のアヨツィナパ教員養成学校の学生や教員、行方不明の学生43人(そのうちひとりの遺体が12月9日に発見された)の親族らとともに現地にいた。

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↑『Una Luz en la obscuridad por Ayotzinapa(アヨツィナパ、闇の中のひとつの光)』ポスター

14日早朝に、同イヴェントの準備をしていた主催の学生たちを、警察機動隊が襲撃。22人の負傷者が出て、そのなかには行方不明の学生43人の親族も含まれている。この事件を受け、開催予定だったチルパンシンゴでのイヴェントが中止になり、主催者とアーティストたちは、別の場所でコンサートを決行した。



同イヴェントのロス・コホリーテスの演奏

ロス・コホリーテスのメキシコシティでのコンサート前日の2014年12月18日に、リカルド・ペリーと、音楽監督でヴォーカルとレキント・ハローチョを担当するノエ・ゴンサレスに滞在先のホテルで取材を行った。彼らがゲレロ州のイヴェントで起こった事件について語ってくれた。

「アヨツィナパの事件だけでなく、メキシコではすでに多くの人々が殺され、行方不明なり、誘拐があり、略奪される状況にある。だから、アヨツィナパの事件をきっかけにメキシコの民衆の怒りは頂点に達しているんだ。

教員養成学校の生徒たちはまだ若く、先住民の集落出身で、メキシコのなかでも最も貧しい状況におかれる人たちだ。そんな状況でも勉強し、コミュニティを支えるために働いている。畑を耕し、農作物を育て、牧畜をし、学校を清掃し、料理も作り、みんなで協力しあう。だけど、そんなコミュニティの活動はゲレロ州政府にとっては、都合が悪い。人々が連帯をすること、希望をもって生きることを政府は望んでいないからだ。

“私たちは暴力のイメージを持ちたくない。平和のイメージを示したい。だからこのイヴェントを『Una Luz en la obscuridad por Ayotzinapa(アヨツィナパ、闇の中のひとつの光)』と呼ぶ”と主催の学生たちはいっていて、私たちも連帯を感じ、出演に合意した。

イヴェントの前日、パンテオン・ロココを含む出演ミュージシャンたちは、それぞれ現地へ集まるのではなく、危険を回避するために、みんなでキャラバンを組んで行くことにした。

主催の学生たちも私たちミュージシャンたちも、ホテルに泊まるのではなく、広間にたくさんのマットレスをひいて一緒に雑魚寝していたんだけど、学生たちは靴を履いたまま寝ていた。だっていつ襲われるのかわからないから。そして日付が変わった14日午前2時に激しい動きが起こり、学生たちは飛び起きた。

警察に襲撃されて戻って来た学生たちや43人の行方不明の学生たちの親族はみんなひどい暴力を受けていた。それを私たちは目の当たりにした。こういった事件が起こると、自分たちの都合のいいように説明していると思われがちだけど、本当に警察は彼ら主催者たちを襲撃していた。彼らは真実を言っている。政府は、このイヴェントを潰そうとしていた。もしもあの場所で予定どおりイヴェントを行っていたら何が起こったかわからない。ステージの真横にあったホテルには、たくさんの機動隊員が待機していたんだ。学生たちがその舞台を保護しようと柵を組みはじめたとき、私服の警官たちは酔っぱらって因縁をつけはじめ、学生を襲撃した。主催側の学生、家族、教員たちは、ホテルへ向かい、そこに待機している機動隊員たちを追い出そうとし、激しい悶着が起こった。

警察が警察を轢いたと報道した車は、学生たちの家族も轢いたのに、テレビはそれを報道しなかった。私たちは学生の家族のドン・クルスが重症を負ってる姿も見た。メキシコの大手メディアは一切そういうことを報道しない」(リカルド)


「クルスさんが首部分を機動隊に殴られて、めまいを起こしたところに、機動隊員たちは彼の頭を地面に押し付けて、追い討ちをかけるように殴りまくっていた。テレビではそういうことを報道しないけど、その映像はyoutubeにアップされている」(ノエ)

ノエがいっていた映像は見つけることができなかったが、youtubeには大手メディアが報道しようとしない、いくつかの映像がアップされていた。



大手メディアがyoutubeにアップしている映像はアヨツィナパの主催側でなく、警察の被害ばかりを訴えているものが多いように見えた。

「私たちはチルパンシンゴで、4時間くらいコンサートをやるかどうか悩んでいた。もしもコンサートをキャンセルしたら、政府の思うままだし、せっかく学生たちが準備してきたことが台無しになる。ミュージシャンたちは重大な決断を迫られた。もしかしたら、また襲撃されるかもしれないという恐怖もあるし、すごい重圧だった。

そんなときに、学生のなかの少女と少年が私たちにいった。“もしも襲撃するとしたら、まず私たちが殺される。あなたたちのことは私たちが守る。私たちを殺したいわけだから、あなたたちは心配しないでいい”と。最終的に私たちは演奏を決意した。

主催者側は、私たちを警察が介入できない山の奥のゲレロ州自治区の村、Tixtlaまで連れて行った。そこには彼らの治安警察部隊もいて、彼らが私たちを守ると約束してくれた。コンサートは本当に美しいものだった。高い意志をもち、魂があり……」(リカルド)


「(さまざまな)感情であふれていた」(ノエ)

「そう、感情であふれていた。私がもっとも心を動かされたのが、アヨツィナパの教員養成学校のダンスグループだった。

Xochipitzahuatl (先住民言語ナワトルで歌われる『繊細な花』という曲。グアダルーペの聖母に捧げる曲)にあわせて“私たちは進んで行かなければいけない。私たちが学んだことを示さないといけない”と宣言し、ロウソクを両手にもちながら踊った。

そのダンスグループのメンバーで、行方不明になっている43人の学生のうちの一人の写真がついた秣袋を持ちながら踊った。それは、彼に捧げた踊りだった。そしてロウソクを、43という数字になるよう地面に配置した。そのときが最も強烈な瞬間だった。だって彼らの魂があそこに居たから。

さらに、43人の学生の親族が壇上にのぼったときも心が動いた。“学生達は襲撃された。政府は政府が襲撃したというイメージを認めたくないのだ。そんな政府ををどうやって信用していいのか”と。

その後、20人の学生たちもステージにあがり、彼らの怒りを露にした。
そして、その場にいた全員が、彼らに向かって「No estan solos(あなたたちはひとりじゃない)」と叫んだ。

私たちミュージシャンは学生たちの道義心と連帯する。
あまりにも若い彼らだが、重大な責任を背負う者たちでもある。メキシコが変わるきっかけを与えた、台風の目のような存在だ。彼らが屈するわけにはいかない。この事実をないがしろにするわけにはいかない」(リカルド)


私はゲレロ州の事件によってメキシコじゅうでデモが起こり、何か騒ぎがあると、日本のメディアのほとんどが、「デモ隊が暴徒化」といういう書き方で報じ、警察の暴力について言及していないことに怒りを感じていたので(私はいくどもデモに参加しているが、ほとんどの人たちが平和にデモを行っている)、彼らのゲレロ州での体験を公表したいと伝えた。メキシコには日本の企業が工場を建てるためにたくさん進出している。
だからこそ、政府の汚職にまみれたスキャンダルを公にしたくないという動きがあるのでは、と考えている。

「メキシコのメディアもちゃんと真実を報道しない。政府がやっている汚い行動に関しても報道しない」
(リカルド)

「俺たちはあの場にいて事実を見た。もしもアヨツィナパ支援の国際的規模なコンサートを実現できていたら、政府にとったら都合が悪いわけだ。最終的に会場を移してコンサートを行ったけど、もしも元の会場でやっていたとしたら大規模なものになる」(ノエ)
「チルパンシンゴで実現できたら、1万人以上の規模のイヴェントになったはずだ。だから、それを防ぎたかったのだ。州外からたくさんの人たちが訪れる予定だった。私たちは、なんとなく、こういう騒ぎが起こることを予想していた。もしも本来の会場でコンサートを開催していたら、もっと酷いことが起こっていたのかもしれない。政府は妨害を最初から企ていた」(リカルド)
「それは弾圧のためだ」(ノエ)
「政府は政権を放棄するか、国を変えるかしか道がない。政府は権力を放棄しないために弾圧をする。富裕層も権力を放棄しない。メキシコは世界で最も資産を持つ者たちがいる国でありながらも、数百万の貧困層を抱えている。最低賃金では日々の食事にも困る人たちがいる国である」(リカルド)

ロス・コホリーテスは、2014年11月にベラクルスで開催された、Juegos Deportivos CentroAmericanos y caribes(中央アメリカ・カリブ海競技大会)開会式で、「ラ・バンバ」を演奏し、それが評判を呼び、ラテンアメリカの各新聞、雑誌の表紙を飾ったという。
「あの開会式に出演したリッキー・マーティンよりも話題を集めたよ」とリカルドは冗談まじりにいった。政府と絡む競技大会なだけに、ちょっと気になって「あなたたち、政府と問題がないの?」ときいたら、こう応えた。
「今までは大きな問題はなかったけど、今回のアヨツィナパの件があるから、今後どう出てくるかだな。あの開会式での私たちの演奏が国際的にクローズアップされたおかげで、権力側が簡単には私たちを襲撃しづらくなっているから。音楽を演奏することが、私たちを守る術にもなっている。

いま政府は苦難の時を迎えているはずだ。国際的にも治安問題で批判されているし、1米ドルが15メキシコペソになっているほど、ペソが暴落している。今の政府がダメになるのも時間の問題なんじゃないか」

だが、私はこの状況をあまり楽観的に捉えることができない。
ゲレロ州の問題が解決していないのに、なぜ政府はおおっぴらに警察によるイヴェントの妨害を行ったのか。

いっぽう自警団と犯罪組織の抗争が激化していたミチョアカン州で、犯罪組織が撤退されたと思われた後も暴力事件が起こり続けている。12 月16日に同州ラ・ルアナの自警団が襲撃され、モラ司令官の息子を含む11人が殺害された。(ソース:プロセソの記事
そしてさらに、武装集団(政府の息がかかった犯罪組織という説が濃厚)がミチョアカンのサンタ・マリア・オストゥラで湾岸自警団を襲撃。ベルディラ司令官を殺害しようとし、誤って別の車に乗っていた家族を襲った。その家族4人は重傷だ。

政府が関与する物騒な事件が続き、不気味でならないが、今は地に足をつけて生きていくしか、道はないのだ。



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[ 2014/12/22 17:55 ] 日常と社会 | トラックバック(-) | CM(0)
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