El fandango en la frontera

辺境のファンダンゴ。メキシコ在住ライターのラテンアメリカ情報ブログ。

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ウーゴ・チャベスは去らず! 

CHAVEZ NO SE VA ウーゴ・チャベスは去らず!

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(C)GUSTAVO BORGES

私はチャベスの信奉者ではない。
やりすぎだって思うこともあったし、ふてぶてしい態度に失笑することもあった。
だけど、チャベスのようなPUEBLO(民衆)側の大統領なんて、なかなかいない。
彼が亡くなって泣いているのは、ベネズエラの人々だけじゃない。アメリカじゅうが泣いている。
「アメリカ」とはアメリカ合衆国のことじゃなく、南も北もあわせた大陸、それがアメリカなんだ。
ここまで人々に慕われるのも、彼が政治家という立場だけでなく、ひとりの人間として人々と接したからだろう。
もし、メキシコのいまの大統領や、日本の大統領が亡くなったとしたら、チャベスのように
悲しまれるだろうか?やんちゃぶりを懐かしがられるだろうか?同志のように語られることがあるだろうか?

ラテンアメリカ結託の象徴だった彼が旅立ったことは寂しいけれど、彼が人々のなかに蒔いた種は確実に育っていくはずだ。

2008年にベネズエラへ行った。
2000年代に、ラテンアメリカのヒップホップを最高潮に盛り上げていたフェスティバルが、キューバの「ブラックオーガスト」と、ベネズエラの「クンブレ」だった。その勢いはドミニカ共和国、プエルトリコ、ブラジル、メキシコにも広がっていた。
チャベスはヒップホップを媒介に、バリオの若者たちを教育するシステムを政策に取り入れていたのだが、
その中心となっていたのも、「クンブレ」の主宰者たちだった。

ラティーナ2008年3月号に掲載されたその取材記事を5年たったいま、ここに転載します(掲載許可してくれたラティーナ編集部に感謝します!)。

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以下その記事



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巨大ゲットー、エル23エネロが見渡せる丘の前で。左からグスターボ、ベニート、マスター。


 ベネズエラで2005年から毎年開催されている、ラテンアメリカじゅうのアンダーグラウンド・ヒップホップのアーティストを集めたサミット的フェスティバル、『クンブレ』。首都カラカスの巨大ゲットー、エル23エネロで、入場料無料で開催され、ライブのほかに出演者による会議や、ゲットーの子供達向けにグラフィティの講習会が行われる。出演者の殆どがラテンアメリカ出身だが、過去にはアメリカ合衆国出身の反体制的メッセージで知られるインモータル・テクニークやデッドプレスのMC、ウミが参加していることからも、非常に政治的で反グローバリズム志向の強いフェスティバルだと言える。しかもこのベネズエラの活動が飛び火して、ドミニカ共和国、アルゼンチン、メキシコ、プエルトリコなど各地で、クンブレと同じ主旨のフェスティバルを行う『ヒップホップ・レヴォリューション』と呼ばれるムーブメントが起こっているのだ。これは実際にベネズエラに行って何が起こっているか確かめなければと思った私は、現地へと飛んだ。そして、幸運なことにクンブレの主宰者たちであるデザイナーのグスターボ・ボルへス、ヒップホップ・グループのアレア23のMC、マスター・マッドリス、そして同じくヒップホップ・グループ、ラ・セプティマのMC、ベニート・マルケスの3人に会うことができたのだ。インタビューはゲットー、エル23エネロの、ど真ん中の路上で行われた・・・。

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第2回クンブレ・ヒップホップ・フェスティバルのポスター デザインGustavo Borges


「僕は、このゲットーで生まれ育った。ここには至る所に、シモン・ボリーバルや、チェ・ゲバラといった革命のシンボルを描いた壁画がある。僕は学校ではなくストリートでデザインを学んだようなものだ。そして、それをラテンアメリカの団結のための革命に生かしたいと思っている。でもゲットーの若者たちの心を捉えるには、従来のやり方じゃなくて新鮮なイメージで打ち出していかなきゃと思い、ヒップホップを絡めてフェスティバルを行うことにしたんだ」(グスターボ)

 グスターボはチャベス政権支援のための機関誌発行や、地元コミュニティのマルチ・メディア運営もやっており、それらに彼のデザインが使用されているのだが、どれもヒップホップのテイストが加わったストリートっぽいもので驚くほどラディカルでかっこいい。クンブレは政府からの助成を受けており、政治と密接な関係にあるようだ。

「チャベス大統領のことは直接知らないけど、彼がラップ好きなのは知ってるよ(笑)。最初は政府が僕たちのことを“悪ガキどもめ”と、斜に構えて見ていたけど、そのコンセプトをきいて驚いたようだった。それで現在は政府から許可を得て援助を受けているけど、強いて言うならば、それは俺たち国民の権利であるとも言える。

ベネズエラには商業的なヒップホップと俺たちがやっている様な、ゲットーの共同体に根ざしたヒップホップがある。俺たちは金を儲けていないが社会的で文化的な仕事をしていると思っている。例えば識字ワークショップや、運動場の整備までやるさ。女性のラッパーが多いのもゲットーの特徴だ。

2006年のクンブレは少年院のなかで行われ、ラップは囚人の子供たちに生きる希望を与えた。今じゃその少年院出身のラッパーが2人居るよ。地元の人々の支えも俺たちの活力になっている。例えばゲットーでイベントをやる際に住人たちが舞台の設置や片付けを手伝ってくれたりした。路上で大勢の子供達向けにグラフィティの講習会を行った時に、近所の主婦が“落書きしてる!”って苦情を言いに来たけど、ほかの住人のオヤジが“そんなこと言うけど、どっちがいいんだい?手にピストル持ってるのと、スプレー缶持ってるのと”って助け舟を出してくれたこともあったよ。ラップは教育の道具として機能しているし、生きる為の武器になると思う」(ベニート)

「たとえばサルサだったら、オーケストラの音を録音し、楽器を買い揃えなきゃいけないだろう?僕らが色々な音楽ジャンルのなかでヒップホップを選んだのは、
ラップなら誰でも歌うことができるし、機材を揃えるのも簡単で自由だからだ。この社会に抵抗の声をあげるのにもピッタリな音楽だったんだ」(マスター)

「俺の父ちゃんは60、70年代のベネズエラ音楽で非常に重要なアフロカリブ系音楽グループ、グルーポ・マデーラのドラマーで、マデーラは常にゲットーの生活や、革命について歌ってきた。だから俺は彼らの影響を受けている。今ベネズエラで起こっている政治的過程も俺の音楽活動に大きな影響を与えている。何たってラテンアメリカ全土を揺り動かしたからね。でも、そんな革命のただなかにおいても状況を冷静に見る視点を忘れないようにしたい。この国は経済的に発展し、国力はあるが人々は未だに貧しいままで、希望はあっても、それに到達するのには、ほど遠い状況だ。だから俺は、ずっと体制批判的でありたいと思っているし、それを自分の音楽にも反映していきたい」(ベニート)

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エル23エネロの放送局。ここからテレビやラジオの情報発信が行われている。


 ラテンアメリカの連帯という理想のもと、ヒップホップ・レヴォリューションをスローガンに厳しい状況のなかで闘い続けるベネズエラの若者たち。現在、彼らに共鳴するラテンアメリカ各国のアーティスト達が増えて行き、その輪は確実に広がりつつある。

「ラテンアメリカに不可能はないんだ。俺たちは、抑圧され、声を失っていた人々に発言する機会を与えるためにゲットーで活動を続けていくよ。それが俺たちの誇りだからね」(ベニート)


Agradecimiento a (取材協力):Bocafloja,Daniel D'Aubeterre Rangel,Naoko Shimamura y El 23 de enero
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ちなみに、インタビューのなかで、「チャベスに会ったことがない」と言っていたベニートは、その半年後にチャベスと会う機会を得たのであった。そのときの写真が彼から送られてきた。

FS_HIP_HOP_bj.jpg


関連ブログ記事:カラカスのゲットー El 23 de enero にいったときの旅日記

追加:取材したマスターたちのヒップホッププロジェクトによって育っている子どもたちのビデオ。
¡NOSOTROS SOMOS CHAVEZ!(ぼくたちはチャベスだ!)
ラテンヒップホップに日本語字幕をつけ、キューバを愛するルリさんに教えてもらいました。



これを見ると、彼らがやってきたことが実を結んでいると感じます。

¡CHAVEZ VIVE!




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[ 2013/03/14 20:17 ] 文化 | トラックバック(-) | CM(0)
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