El fandango en la frontera

辺境のファンダンゴ。メキシコ在住ライターのラテンアメリカ情報ブログ。

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オーガニックとかエコっていう言葉に包まれた「うんこ」 

私の住むメキシコでは、本格的なオーガニックブームが到来している。100%自然で、エコロジーでサスティナブルなことが、もて囃されるようになった。いや、いいことなのかもしれないけど、何かこう素直になれないんだよなあ。よく行く市場でも八百屋のオヤジが「これはオーガニックだよ」とか、いちいち言いはじめていて違和感倍増。
メキシコの古くからの農家って無農薬で有機肥料を使うのはもちろん、ほったらかしで育てる方法が主流だったときく。かねてからオーガニックの野菜が出回ってるのに、今になって「オーガニック」という付加価値を与えるのはオカシくないか?
メキシコには、今までGMOが参入していなかったのだが、メキシコで遺伝子組み換えトウモロコシの栽培を始めようと画策しており、農民や環境活動家たちが反対運動を行っている。そんなわけで、「オーガニック」トルティージャも高値で売られはじめている。

メキシコでの「オーガニック」食材消費者のトップクラスはヒップスター(ほぼメキシコの金持ちの息子たち)たちであり、どうやら、ヒップスターがオーガニック野菜を食べるのは世界共通のようだ。
とある友人の誕生会がヒップスター御用達レストランで開催された際に、マイルドヤンキーである夫と一緒行ったのだが、ビールを飲もうとしたら「クラフトビールしか扱っていません」、コーラを頼もうとしたら「清涼飲料水は一切扱っていません。オーガニックなハーブやフルーツを使った自家製ソーダをおすすめします」といった具合に、「オーガニック、オーガニック、クラフト、クラフト」とアホの一つ覚えのようにほざきはじめて、「¡Mierda(うんこー)!」と叫びたくなった(うんこはオーガニックを代表する肥料のひとつであるが)。
食事も、鳥の餌くらいの量のオーガニックな豆サラダが50メキシコペソ(400円相当)くらいして、イライラさせられた。日本だったら400円は、フツーの居酒屋価格じゃんと思うかもしれんが、ここはメキシコ。うちの近所ではひとつ15ペソ(120円相当)のタコスに、おまけの総菜を盛り放題なのだから、その鳥の餌のような豆サラダがめちゃくちゃ高いことをわかってほしい。

「オーガニック」なものを好むヒップスターは、私たちが街頭でタコスにむしゃぶりつく姿を横目で眺めながら、「あいつら犬の肉かもしれないタコス食べてるぜ」と鼻で笑っているかもしれないが、そんな彼らがオシャレなレストランでありがたそうに食べているのは「オーガニック」野菜をGMS(味の素にも多く含まれる発ガン性率が高いとされる旨味調味料)で味付けしたオリエンタル料理だったりする。エコとかオーガニックとか言いながら、ケミカルなドラッグやりまくってる輩も多いので、GMSを摂取していても不思議ではないのだが。

ちなみに、オーガニックスーパーにあるほとんどのりんごが、NAFTA(北米自由貿易協定)の無関税で輸入されたアメリカ産だ。輸送でガソリン使ってる時点で環境破壊だし、NAFTAのせいでメキシコの農民が作ったりんごが売れなくなってるなら、ちっとも人に優しくないではないか!…...とちょっと揚げ足をとってしまったが、そんなことよりも、何がスッキリしないかっていうと、オーガニックとかエコっていう言葉に包まれた「うんこ」について、多くの人たちが気づかないふりをしているのが嫌なのだ。そもそも、オーガニックがエコがって前に、地球生命体とは、うんこから出来たものを食べてうんこを出す食物連鎖の上に成り立っているではないか!なのに、「オーガニック」というプレミア感みたいなのが気持ち悪いんだよな(でも、ごめんなさい。人々のプレミア感を考慮してオーガニック・レストランの紹介記事とか素敵系みたいに書いたりしてる。ぶっちゃけ)。

先日、友人がFacebookにイスラエルを支持する企業として、オーガニック化粧品で有名なブランドのことを取り上げていた。でも、彼女にとったらイスラエルがどーのっていうことよりも、まずオーガニックっていう付加価値の不思議について疑問を感じたようで、そこにとても共感を覚えた。私も日本にいた頃は(その頃は経済的に余裕があった。そして「うんこ」を無視したオーガニックのプレミア感を過信していた)そのブランドの化粧水を使ってたんだよな、と思い出した。
友人は「オーガニック製品を買わないのは意識が低いって言われるのはムカつく。経済的な理由だってあるのだから」というようなことも書いていた。それは化粧品に限らず、食物に関しても同様なことが言える。先のヒップスターレストランの話で書いたように、オーガニックだから高価にしてもいいって話ではないだろうと思う。

メキシコに住む現在は、うちの近所の香水屋でおばちゃんが作ってる、保存料なしの天然ローズウォーター(250ml)20メキシコペソ(約160円)を化粧水がわりに使っている。それは、件のオーガニック化粧品の十分の一以下の価格なのに、ほとんど効能は変わらないと思われることから、世にあふれる「オーガニック」ブランド化粧品ってめちゃめちゃ儲けてるんだろうなというのが想像できる。
メキシコの町には香水屋が多く、シャネルの5番と同じ香りのものを作って!と言えば同様の香水を調合してくれたり、シンプルに天然オイルとか使って化粧品を作ってる店も多い。でも決してオシャレな店ではなく、当たり前のように昔からある場所だ。
そのおばちゃんの店では、「ジャスティン・ビーバー」と名付けられた香水を勝手に開発していたりして微笑ましいのであるが、いつかオーガニックが〜とか言いはじめたら、どうしよう。

メキシコは今まで安全なものを適正な価格で当たり前に入手できる環境だったのに、「うんこ」をきれいにパッケージしはじめる波が遂に訪れたのかと思うと、どうも歯がゆい。

うんこには意識の低さも高さも関係ないのにね。






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[ 2014/08/26 07:59 ] タコスとおにぎりの間で | トラックバック(-) | CM(0)

メキシコの治安最新情報について 

All About(オールアバウト)でメキシコの治安最新情報を7月末に更新しています。メキシコ国家治安局のデータを参照にした危険州リストも掲載しました。これからなるべく細かく更新していきますので、安全に旅を楽しむためにも、ぜひチェックしてくださいね〜。

「メキシコの治安最新情報」
http://allabout.co.jp/gm/gc/413108/

そのオールアバウトの記事では、現在ミチョアカン州は危ないということを書いていますが、実際に頻繁に現地へ行っているメキシコ人にとったら、「今ミチョアカンは大丈夫だよ!結局世界のどこにいたって、抗争にぶちあたるか、誰かに殺されるかどうかなんて誰もわかんないもんだよ」とのことでした.....言い得て妙。
しかし、最近のミチョアカン州の動きがおかしいのは確か。
500人余りを収容する孤児院を運営する80歳を超えたロサ母ちゃんが突如逮捕されたり、ミチョアカンを牛耳っていたラ・ファミリアの後を継ぐ形で生まれた組織、カバジェロス・テンプラリオスを追い出した地元自警団のリーダーが海軍に拘束されたり、元ミチョアカン州知事の息子が逃走中のカバジェロス〜の親分と密談している映像が世に出回ったりと、何かと不可解である。これは「誰か」が、いろいろと世に隠したいことがあるから、あえて大騒ぎしているのかなあとも思うけど......。
火のないところに煙は立たないわけで、観光地はコントロールされていると思うけれど、極力田舎方面(山の中を通るとか)へは行かないほうがよいとは思います。



[ 2014/08/09 08:52 ] お知らせ | トラックバック(-) | CM(0)

アルゼンチン「5月広場の母たち」のリーダーの孫が見つかる 

Facebookが今ほど普及していなかった数年前まで、メキシコでは、失踪か誘拐でいなくなってしまった人たちを家族や仲間が必死に探しているという同報メールが頻繁に届いていた(現在ではその役割をFacebookが担っているようだ)。頻繁に回ってくるうえに、すでに解決している件や、スパムメールだったりするものもあるので、あまり真剣に受け止めていなかったのだが、そんなメールのなかでも、ちょっと異質なものを受け取ったことがある。

アルゼンチンの年老いた女性チチャ・マリアーニが彼女の孫、クララ・アナイ・マリアーニを探しているという内容であり、チチャは、老齢のため周りの人々の力を借りて、この手紙を書いたとのことだった。

手紙の文面に添えられた赤ちゃんの写真と出生証明書には、クララ・アナイ・マリアーニが「1976年に生まれた」となっている。
1976年?.....もしそうだったら、とうに大人になっている年齢だ。


File.jpg


手紙を訳すとこんな内容になる。

愛する孫へ

私はあなたの祖母、チチャ・チョロビック・デ・マリアーニ。
ラモン・カンポスの右腕であったミゲル・エチェコラスによる特攻隊があなたの母を殺し、アルゼンチンのラプラタにある自宅からあなたを誘拐して以来、あなたを探し続けています。
それは1976年11月24日に起こり、あなたは生後3ヶ月だった。あなたの父と一緒にあなたを探したけれど、彼も殺されてしまった。


周りは、あなたは銃撃戦に巻き込まれて亡くなったと私に言いきかせようとした。でも、私はあなたが生きているのを知っている。きっと、あなたは生き延びて、誰かの元にいると。
私の手元にある書類には、25476305というあなたの国民番号が書かれている。
もうあなたは31歳を迎えているはず。
あなたの赤ちゃんの頃の写真と、この文章を読みながらじっくり比べて見てほしい。

あなたの父方の祖父は音楽家で、祖母である私は造形芸術家です。あなたの母方の祖父母は科学に従事し、あなたの母は文学を愛し、あなたの父は経済学の学士号を持っていた。あなたの両親は、社会へ向けての連帯と決意を持っていた。
きっとあなたは私たちのエッセンスを持っていることでしょう。あなたは他所で育ってきたにも関わらず、両親から受け継がれたものを宿しているはず。
確実にあなたの中で、この事実に関して多くの疑問が起こると思うし、その答えはみつからないこともあるでしょう。

80歳を迎えた私が望むのは、ただあなたを抱きしめ、あなたの眼差しを受け止めること。
あなたが私の元を訪れてくれたら、どんなに嬉しいか。永きにわたって、あなたと出会える日を信じて、ふんばってきた私も報われる。
クララ・アナイ。あなたを待って、探し続けます。


あなたを抱きしめるあなたの祖母、チチャ・マリアーニより




この手紙を書いた人物は、チチャ・チョロビック・デ・マリアーニ。
アルゼンチン独裁政権下で行方不明となった子ども、孫たちの家族によって結成されたグループ、「5月広場の母たち」の創始者のひとりである。


アルゼンチンでは、ラファエル・ビデラが指揮する軍事政権下により、1976年から1983年まで「汚い戦争(Guerra sucia)」が起こり、3万人近くの学生、活動家、ジャーナリストらが殺され、多くの行方不明者が出た。
その家族たちが政府に抵抗の姿勢を示し、行方不明者たちがどこにいるのかについて、政府の返答を待つために1977年4月30日から行動を起こした。毎週木曜日、大統領官邸の目の前にあり、ブエノスアイレスのシンボルである5月広場に集まったのだ。その女性たちは白いスカーフで頭を覆い、5月広場のモニュメントの周りを、ただ歩き続けた。兵士たちは、「頭がおかしい女たち」とまともに取り合わなかったが、その姿が内外から話題を集めた。いつしか彼女たちは「5月広場の母たち」と呼ばれ、ラテンアメリカを代表する闘いの姿として知られるようになった。


5月広場の母たちの姿(アルゼンチン教育テレビ局、Canal Encuentroの映像)


チチャは、行方不明者たちの家族に呼びかけていき、「5月広場の母たち」の運動は大きくなった。
司法にのっとって、行方不明になった子どもたちや孫たちを自由に捜索できるようになっていき、少しずつ失われた孫たちが姿を現すようになってきた。
チチャは「5月広場の母たち」から1989年に脱退しているが、現在もアナイを探し続けている(ラテンアメリカに配給されるアルゼンチンの大手新聞クラリン創業者ロベルト・ノブレの妻で、夫が亡くなった後は、クラリン・グループのトップのひとりとして参画するエルネスティーナ・エレーラ・デ・ノブレの義理の息子たちが、独裁政権下に奪われた乳児なのではと騒ぎになり、そのうちの娘のほうが、チチャの孫なのではという疑惑が生じた。だが未だに解決していない)
そして、本日2014年8月6日、「5月広場の母たち」の代表、エステラ・デ・カルロットの孫ギドが見つかったというニュースが世界じゅうを駆け巡った。

BBC MUNDOのニュース記事より

ギドの母は、ラウラといい、1978年6月に彼を出産してすぐに殺された。ギドはその後にさらわれ、行方がわからないままとなった。36年たった今、ようやく祖母との対面を果たすこととなったのだ。
その孫はイグナシオ・ウルバンという名で、ミュージシャン(ピアニスト)として、ジャズ界で活躍しているという。
名の知れたミュージシャンであるイグナシオがテレビに出演する姿を見た者たちが、カルロットの家系の顔ではないかと言っていたこともあったが、彼は農村の出身で、人違いとされたのだった。その後、彼が自身の出生について不確かなことに気がつき、DNA鑑定を受けたところ、99%エステラの孫という結果が出た。
アルゼンチンでは国をあげて、エステラとギドの再会を祝っている。



エステラの永きに渡る闘いを元に描いた映画、Nicolás Gil Lavedra監督『Verdades verdaderas』(2011)予告編

今回の出来事は、独裁政権で亡くなったり、行方不明になった人々の家族のなかでは、「汚い戦争」が終わった後も、その闘いが未だに続いていることを表している。

アルゼンチン軍事政権下で乳児たちを誘拐した罪で、元大統領ホルヘ・ラファエル・ビデラに禁錮50年の刑が言い渡されたのは2012年だというから、誰がきいても納得がいかない話である。ビデラは2013年に刑務所内で亡くなった。

独裁政権下で数千人の若者たちが行方不明になったなか、「母たち」の捜索により、見つかった孫たちは現在ままでで、114人。未だに数百人の孫たちの行方がわかっていない。

そして、世界では今も戦争が起こり続けている。





[ 2014/08/06 15:13 ] 日常と社会 | トラックバック(-) | CM(0)

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