El fandango en la frontera

辺境のファンダンゴ。メキシコ在住ライターのラテンアメリカ情報ブログ。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

年は明けても 

まもなく、メキシコも日本から遅れて年越しです。
でも、決して忘れてはならないこと。

tumblr_nfd0b15nYG1u30kmoo1_1280.jpg

Imágenes en voz altaより





スポンサーサイト
[ 2014/12/31 20:27 ] 日常と社会 | トラックバック(-) | CM(0)

メキシコ・アヨツィナパ支援イヴェントを警察が妨害 

前作『センブランド・フローレス』が、2014年グラミー賞のメキシコ伝統音楽部門にノミネートされた、ソンハローチョ(メキシコ東部ベラクルス発祥の伝承音楽で、アフロカリブのリズムと先住民ナワトルの文化、ヨーロッパ伝来の楽器や旋律が融合して生まれた300年以上続く抵抗歌)グループのロス・コホリーテス。

その創始者で、彼らを指揮するリカルド・ペリーは、20年以上前にベラクルス州南部の村ハルティパンで、ソンハローチョを中心にした地元ベラクルスの文化保護を目的とするCentro de documentacion de Son jarocho(ソンハローチョ文化センター)を設立した。そこでは地元の青少年たち向けに、ソンハローチョの講座(歴史、楽器演奏、踊り、歌)を開講し、畑や牧場を持ち、ソンハローチョの楽器を作って販売しながら、自給自足の生活をしている。

ロス・コホリーテスのメンバーのほとんどが、ハルティパンを拠点としているので、あまりメキシコシティまでやってくる機会はないのだが、ニューアルバム『サパテアンド(2015年1月11日日本発売)』のリリース記念コンサートのために、メキシコシティへやってきた。(そのライヴ・レポートはAll Aboutブログ『気がつけば、ここはメキシコだった:ロス・コホリーテスのニューアルバム『サパテアンド』リリース記念コンサート』に掲載)

ロス・コホリーテスは、メキシコシティ滞在直前の12月14日、ゲレロ州チルパンシンゴで開催予定だったアヨツィナパ(メキシコ・ゲレロ州アヨツィナパ教員養成学校の43人学生を警察が虐殺した疑いが濃厚な事件が起こり、今メキシコじゅうが怒りに震え、全国各地で連日のように政府への抗議活動が続いている)の支援文化イヴェント『Una Luz en la obscuridad por Ayotzinapa(アヨツィナパ、闇の中のひとつの光)』に出演するため、Panteón rococo(パンテオン・ロココ)、Los Aguas Aguas(ロス・アグアス・アグアス)、Olmeca(オルメカ)ら多くのミュージシャンたちや、主催のアヨツィナパ教員養成学校の学生や教員、行方不明の学生43人(そのうちひとりの遺体が12月9日に発見された)の親族らとともに現地にいた。

unaluz.jpg
↑『Una Luz en la obscuridad por Ayotzinapa(アヨツィナパ、闇の中のひとつの光)』ポスター

14日早朝に、同イヴェントの準備をしていた主催の学生たちを、警察機動隊が襲撃。22人の負傷者が出て、そのなかには行方不明の学生43人の親族も含まれている。この事件を受け、開催予定だったチルパンシンゴでのイヴェントが中止になり、主催者とアーティストたちは、別の場所でコンサートを決行した。



同イヴェントのロス・コホリーテスの演奏

ロス・コホリーテスのメキシコシティでのコンサート前日の2014年12月18日に、リカルド・ペリーと、音楽監督でヴォーカルとレキント・ハローチョを担当するノエ・ゴンサレスに滞在先のホテルで取材を行った。彼らがゲレロ州のイヴェントで起こった事件について語ってくれた。

「アヨツィナパの事件だけでなく、メキシコではすでに多くの人々が殺され、行方不明なり、誘拐があり、略奪される状況にある。だから、アヨツィナパの事件をきっかけにメキシコの民衆の怒りは頂点に達しているんだ。

教員養成学校の生徒たちはまだ若く、先住民の集落出身で、メキシコのなかでも最も貧しい状況におかれる人たちだ。そんな状況でも勉強し、コミュニティを支えるために働いている。畑を耕し、農作物を育て、牧畜をし、学校を清掃し、料理も作り、みんなで協力しあう。だけど、そんなコミュニティの活動はゲレロ州政府にとっては、都合が悪い。人々が連帯をすること、希望をもって生きることを政府は望んでいないからだ。

“私たちは暴力のイメージを持ちたくない。平和のイメージを示したい。だからこのイヴェントを『Una Luz en la obscuridad por Ayotzinapa(アヨツィナパ、闇の中のひとつの光)』と呼ぶ”と主催の学生たちはいっていて、私たちも連帯を感じ、出演に合意した。

イヴェントの前日、パンテオン・ロココを含む出演ミュージシャンたちは、それぞれ現地へ集まるのではなく、危険を回避するために、みんなでキャラバンを組んで行くことにした。

主催の学生たちも私たちミュージシャンたちも、ホテルに泊まるのではなく、広間にたくさんのマットレスをひいて一緒に雑魚寝していたんだけど、学生たちは靴を履いたまま寝ていた。だっていつ襲われるのかわからないから。そして日付が変わった14日午前2時に激しい動きが起こり、学生たちは飛び起きた。

警察に襲撃されて戻って来た学生たちや43人の行方不明の学生たちの親族はみんなひどい暴力を受けていた。それを私たちは目の当たりにした。こういった事件が起こると、自分たちの都合のいいように説明していると思われがちだけど、本当に警察は彼ら主催者たちを襲撃していた。彼らは真実を言っている。政府は、このイヴェントを潰そうとしていた。もしもあの場所で予定どおりイヴェントを行っていたら何が起こったかわからない。ステージの真横にあったホテルには、たくさんの機動隊員が待機していたんだ。学生たちがその舞台を保護しようと柵を組みはじめたとき、私服の警官たちは酔っぱらって因縁をつけはじめ、学生を襲撃した。主催側の学生、家族、教員たちは、ホテルへ向かい、そこに待機している機動隊員たちを追い出そうとし、激しい悶着が起こった。

警察が警察を轢いたと報道した車は、学生たちの家族も轢いたのに、テレビはそれを報道しなかった。私たちは学生の家族のドン・クルスが重症を負ってる姿も見た。メキシコの大手メディアは一切そういうことを報道しない」(リカルド)


「クルスさんが首部分を機動隊に殴られて、めまいを起こしたところに、機動隊員たちは彼の頭を地面に押し付けて、追い討ちをかけるように殴りまくっていた。テレビではそういうことを報道しないけど、その映像はyoutubeにアップされている」(ノエ)

ノエがいっていた映像は見つけることができなかったが、youtubeには大手メディアが報道しようとしない、いくつかの映像がアップされていた。



大手メディアがyoutubeにアップしている映像はアヨツィナパの主催側でなく、警察の被害ばかりを訴えているものが多いように見えた。

「私たちはチルパンシンゴで、4時間くらいコンサートをやるかどうか悩んでいた。もしもコンサートをキャンセルしたら、政府の思うままだし、せっかく学生たちが準備してきたことが台無しになる。ミュージシャンたちは重大な決断を迫られた。もしかしたら、また襲撃されるかもしれないという恐怖もあるし、すごい重圧だった。

そんなときに、学生のなかの少女と少年が私たちにいった。“もしも襲撃するとしたら、まず私たちが殺される。あなたたちのことは私たちが守る。私たちを殺したいわけだから、あなたたちは心配しないでいい”と。最終的に私たちは演奏を決意した。

主催者側は、私たちを警察が介入できない山の奥のゲレロ州自治区の村、Tixtlaまで連れて行った。そこには彼らの治安警察部隊もいて、彼らが私たちを守ると約束してくれた。コンサートは本当に美しいものだった。高い意志をもち、魂があり……」(リカルド)


「(さまざまな)感情であふれていた」(ノエ)

「そう、感情であふれていた。私がもっとも心を動かされたのが、アヨツィナパの教員養成学校のダンスグループだった。

Xochipitzahuatl (先住民言語ナワトルで歌われる『繊細な花』という曲。グアダルーペの聖母に捧げる曲)にあわせて“私たちは進んで行かなければいけない。私たちが学んだことを示さないといけない”と宣言し、ロウソクを両手にもちながら踊った。

そのダンスグループのメンバーで、行方不明になっている43人の学生のうちの一人の写真がついた秣袋を持ちながら踊った。それは、彼に捧げた踊りだった。そしてロウソクを、43という数字になるよう地面に配置した。そのときが最も強烈な瞬間だった。だって彼らの魂があそこに居たから。

さらに、43人の学生の親族が壇上にのぼったときも心が動いた。“学生達は襲撃された。政府は政府が襲撃したというイメージを認めたくないのだ。そんな政府ををどうやって信用していいのか”と。

その後、20人の学生たちもステージにあがり、彼らの怒りを露にした。
そして、その場にいた全員が、彼らに向かって「No estan solos(あなたたちはひとりじゃない)」と叫んだ。

私たちミュージシャンは学生たちの道義心と連帯する。
あまりにも若い彼らだが、重大な責任を背負う者たちでもある。メキシコが変わるきっかけを与えた、台風の目のような存在だ。彼らが屈するわけにはいかない。この事実をないがしろにするわけにはいかない」(リカルド)


私はゲレロ州の事件によってメキシコじゅうでデモが起こり、何か騒ぎがあると、日本のメディアのほとんどが、「デモ隊が暴徒化」といういう書き方で報じ、警察の暴力について言及していないことに怒りを感じていたので(私はいくどもデモに参加しているが、ほとんどの人たちが平和にデモを行っている)、彼らのゲレロ州での体験を公表したいと伝えた。メキシコには日本の企業が工場を建てるためにたくさん進出している。
だからこそ、政府の汚職にまみれたスキャンダルを公にしたくないという動きがあるのでは、と考えている。

「メキシコのメディアもちゃんと真実を報道しない。政府がやっている汚い行動に関しても報道しない」
(リカルド)

「俺たちはあの場にいて事実を見た。もしもアヨツィナパ支援の国際的規模なコンサートを実現できていたら、政府にとったら都合が悪いわけだ。最終的に会場を移してコンサートを行ったけど、もしも元の会場でやっていたとしたら大規模なものになる」(ノエ)
「チルパンシンゴで実現できたら、1万人以上の規模のイヴェントになったはずだ。だから、それを防ぎたかったのだ。州外からたくさんの人たちが訪れる予定だった。私たちは、なんとなく、こういう騒ぎが起こることを予想していた。もしも本来の会場でコンサートを開催していたら、もっと酷いことが起こっていたのかもしれない。政府は妨害を最初から企ていた」(リカルド)
「それは弾圧のためだ」(ノエ)
「政府は政権を放棄するか、国を変えるかしか道がない。政府は権力を放棄しないために弾圧をする。富裕層も権力を放棄しない。メキシコは世界で最も資産を持つ者たちがいる国でありながらも、数百万の貧困層を抱えている。最低賃金では日々の食事にも困る人たちがいる国である」(リカルド)

ロス・コホリーテスは、2014年11月にベラクルスで開催された、Juegos Deportivos CentroAmericanos y caribes(中央アメリカ・カリブ海競技大会)開会式で、「ラ・バンバ」を演奏し、それが評判を呼び、ラテンアメリカの各新聞、雑誌の表紙を飾ったという。
「あの開会式に出演したリッキー・マーティンよりも話題を集めたよ」とリカルドは冗談まじりにいった。政府と絡む競技大会なだけに、ちょっと気になって「あなたたち、政府と問題がないの?」ときいたら、こう応えた。
「今までは大きな問題はなかったけど、今回のアヨツィナパの件があるから、今後どう出てくるかだな。あの開会式での私たちの演奏が国際的にクローズアップされたおかげで、権力側が簡単には私たちを襲撃しづらくなっているから。音楽を演奏することが、私たちを守る術にもなっている。

いま政府は苦難の時を迎えているはずだ。国際的にも治安問題で批判されているし、1米ドルが15メキシコペソになっているほど、ペソが暴落している。今の政府がダメになるのも時間の問題なんじゃないか」

だが、私はこの状況をあまり楽観的に捉えることができない。
ゲレロ州の問題が解決していないのに、なぜ政府はおおっぴらに警察によるイヴェントの妨害を行ったのか。

いっぽう自警団と犯罪組織の抗争が激化していたミチョアカン州で、犯罪組織が撤退されたと思われた後も暴力事件が起こり続けている。12 月16日に同州ラ・ルアナの自警団が襲撃され、モラ司令官の息子を含む11人が殺害された。(ソース:プロセソの記事
そしてさらに、武装集団(政府の息がかかった犯罪組織という説が濃厚)がミチョアカンのサンタ・マリア・オストゥラで湾岸自警団を襲撃。ベルディラ司令官を殺害しようとし、誤って別の車に乗っていた家族を襲った。その家族4人は重傷だ。

政府が関与する物騒な事件が続き、不気味でならないが、今は地に足をつけて生きていくしか、道はないのだ。




[ 2014/12/22 17:55 ] 日常と社会 | トラックバック(-) | CM(0)

ポリテクニコ学生たち5万人による内務省前デモ 

数日前から、メキシコシティのポリテクニコ(メキシコ国立高等理工科学院)の学生たちが、学院の不当な教育内容や専門課程修了資格改編によって立ち上がっている。きちんとした説明なしに、学長のヨロソチトゥル・ブスタマンテが教育計画や規則の変更を行うことを決めたのだ。これによると同学院では、Bachillerato(中学、高校に相当する修了資格のみ)しか取れないことになり、学士号を取れなくなる。背景にはメキシコ政府が、外国企業の工場を誘致するために、安い賃金で働く現場作業員、工員の確保を約束しているためだと、学生たちは訴えている。「学歴が高いと、給料を倍払わなければならないから、とにかく安く動ける人間がたくさん必要になる→だからポリテクニコは職業訓練校だけにする」というのが政府の狙い。


↑ポリテクニコの学生たちが語る「今ポリテクニコで何が起こっているのか」というビデオ

この外国企業というのには、もちろん日本の企業も含まれていて、近年はおびただしい数の日系企業の工場がメキシコの各地を拠点にするようになった。日本の中小企業が人手不足でどんどん窮地に追いやれている状況も知っているし、工場で現地の人を雇用するというのは一見、理にかなっているようにも見える。しかし、その裏には今回のポリテクニコのような問題があるわけだ。
外国企業が利益を生むために、メキシコの若者の将来が左右されるのは許されることではない。だから、メキシコ政府はネオリベラリズムの売国奴だと言われているわけなのだが。

本日9月30日に、うちの近所の内務省(※最初にこの記事を書いたときに内閣府と書いてしまいましたが、それは日本での言い方なので、内務省と訂正しました 2014年10月1日訂正)前までポリテクニコの学生たちがデモをやるというのを知り、これは絶対に行かねばと思った。でも夫にはギリギリまで取材することは言わないでおいた。今まで、デモを撮影していたインディペンディエントメディアのカメラマンや、デモに参加していただけなのに見せしめのために捕まった仲間たちがいる。もしもデモへ行くと言ったら、心配して止められるので、家から出る直前に電話で、「今からポリ(ポリテクニコの略称)のデモに行ってくる」と告げた。夫は、あきれたように「本当に気をつけて。ポリはポロス(過激派)の本拠地なんだから」と言われる。何かあったときに、すぐに走れるように、できるだけ身軽な格好でカメラと携帯と小銭のみ持って家を飛び出した。

確かにポリ出身のポロスは世でとても評判が悪く、ネオリベ志向の人々がこのデモについても「ああ、またポロスがなんか騒いでるよ」と言っているのが目に浮かぶ。でも今回は、過激派主導ではなく、普通の学生たちによってオーガナイズされている運動だと感じる。

メキシコシティの目抜き通り、レフォルマに着くと、独立記念塔から、内務省に向かって、学生たちがぞろぞろと歩いて来た。

poli1.jpg
poli2.jpg

それが、とんでもない数だというのがすぐにわかる。ゆうに1万人以上はいるだろう。皆落ち着いているし、かけ声もばっちり揃っている。

poli3.jpg

「俺たちはポロス(過激派)じゃない!俺たちは学生たちだ!」と叫びながら、数万の学生たちが一斉に学生証を掲げた。
poli4.jpg
poli31.jpg
poli5.jpg


すごいオーガナイズされててビビる。彼らの心の奥からの叫びがコーラスのように揃っていて鳥肌が立つ。そんな姿を見ていたら、なんだか涙が出てきてしまい、こらえる。

監視のヘリコプターが上空を飛び交い、学生たちは上に向かって「クレーロ、クレーロ!(卑怯者)チンゲ・ア・ス・マドレ〜(マザーファッカー)」とルチャリブレ(メキシカンプロレス)の観戦ヤジみたいな言葉を合唱するが、それすらもスゴい一体感だ。

poli6.jpg
poli7.jpg
↑学生の家族たちも応援する

内務省前にはフェンスのバリケードが組まれ、フェンス越しには警察官たちが盾を持って構えている。
P9300065.jpg

P9300066.jpg
右のほうに見える建物が内務省だ。

そのフェンスの前にはステージが組まれていて、壇上ではオーガナイザーのうちのひとりの女性がマイクで群衆に向かってこう言った。「あまりにも人が多く集まって、一気にここまで押し寄せるのは危険なので、少しずつ人をここまで通すようにしている。混乱や暴力ではなく、私たちの闘いが本物だってことを(内務省側へ)示さないといけない。だから、みんな落ち着いて待っててね」。
もちろん、皆静かに待っている。少しずつ、少しずつ、学生たちが集まってくる。暴力的な行動を起こす者は誰ひとりいない。

P9300046.jpg
↑このデモを利用して、食べ物を売り歩く人はもちろん、ちゃっかり社会運動系の本を売る人や、ヒッピーなアクセサリーや、左翼グッズを売る人もいるのが実にメキシコらしい。ちなみに、それを不謹慎だと怒る心の狭い人は誰もいない。

P9300056.jpg
緊急事態のために救急車や、赤十字人権委員会のスタッフまでいた(デモで人権を侵害する行為が行われないように監視する)。準備バッチリ。

そして、「なんと、このデモには5万人が参加している!これは僕たちの団結の証だ」とオーガナイザーのひとりが壇上で発表すると、5万人の学生たちの喝采が遠くからも響き渡った。メキシコの大きなメディアでは参加者2万人と少なめに報道しているが、ポリテクニコの学生やその家族、UNAM(メキシコ国立自治大学)やUAM(メトロポリタン自治大学)の学生も支援のために大勢訪れているのだ。UNAMとポリテクニコは、いつも揉めている印象があったのだが、今回の件で、お互いに団結の姿勢を示し始めている。明日10月1日はUNAMの中央キャンパス内で、ポリテクニコの学生たちを集めた大規模な集会が行われる。

ステージの上からデモの群衆を撮影するプレスの人々を見たので、私も撮影させてもらえないか交渉してみた。撮影にはプレスの証明証と身分証明証が必要と言われたので「私はただの日本のフリーランス・ライターです。どこの新聞社や出版社にも所属していません。でも写真を撮らせてください」とお願いしたら、通ってもいいと言ってくれた。若い女性が、私の背中にこう投げかけた。「私たちが闘っている姿を日本の人々にも知らせて!」。その言葉をしかと受け止めて、ステージに上がり、シャッターを夢中で切った。
poli9.jpg
P9300062.jpg
正直、あまり良い写真は撮れなかったけれど、私の中にはこの無数の若者たちの訴えや、彼らの願いが、痛いくらいに刻み込まれていくのを感じた。

P9300071.jpg
↑内務省から至近距離にある、ポリテクニコの職業訓練校(分校)では、デモに参加する仲間のために、水やフルーツを支給していた。

P9300074.jpg
↑その校舎の壁に貼られた紙には「僕は労働者の息子だ。父は僕に自分が愛することのために闘えと教えてくれた」と書かれていた。

帰宅後、内務省大臣のミゲル・アンヘル・オソリオ・チョンが、学生たちの前に現れ、ステージに上がり「教育計画改編の撤回、現在の学長を解雇させる」といった内容の懇願書を受け取り、それを読んで10月3日に返答すると約束した、というのをニュースで知った。
騒ぎを知ってビビった大臣が登場するところまでもってくるとは、やるじゃん学生たち!......とはいえ、信用できるわけでは全くないし、まだまだ予断は許せないのだが、デモのおかげで巨大権力を威嚇できたわけだ。しかし、本当によくオーガナイズされた素晴らしいデモだった!


↑本日撮影した写真のスライドショー


↑内務省前の様子。動画


yosoy132.jpg
こちらは写真をFacebookのSC#YoSoy132より借りました。今日の空撮の様子。これだとめっちゃすごい人だったのがわかる。

明後日10月2日は1968年にメキシコシティオリンピック反対運動のためにメキシコシティのトラテロルコ広場に集まった学生を中心とした400人以上が政府によって虐殺された日から46年目を迎える。毎年メモリアルデモが開催されるのだが、今回はポリテクニコの運動と重なり、かなり大きいものになるだろう。日本の雑誌のために、取材する予定。


P9300069.jpg

10月2日のデモのポスター。デモは、46年前に学生大虐殺が起こったトラテロルコ広場からスタートする。


[ 2014/09/30 18:32 ] 日常と社会 | トラックバック(-) | CM(0)

アルゼンチン「5月広場の母たち」のリーダーの孫が見つかる 

Facebookが今ほど普及していなかった数年前まで、メキシコでは、失踪か誘拐でいなくなってしまった人たちを家族や仲間が必死に探しているという同報メールが頻繁に届いていた(現在ではその役割をFacebookが担っているようだ)。頻繁に回ってくるうえに、すでに解決している件や、スパムメールだったりするものもあるので、あまり真剣に受け止めていなかったのだが、そんなメールのなかでも、ちょっと異質なものを受け取ったことがある。

アルゼンチンの年老いた女性チチャ・マリアーニが彼女の孫、クララ・アナイ・マリアーニを探しているという内容であり、チチャは、老齢のため周りの人々の力を借りて、この手紙を書いたとのことだった。

手紙の文面に添えられた赤ちゃんの写真と出生証明書には、クララ・アナイ・マリアーニが「1976年に生まれた」となっている。
1976年?.....もしそうだったら、とうに大人になっている年齢だ。


File.jpg


手紙を訳すとこんな内容になる。

愛する孫へ

私はあなたの祖母、チチャ・チョロビック・デ・マリアーニ。
ラモン・カンポスの右腕であったミゲル・エチェコラスによる特攻隊があなたの母を殺し、アルゼンチンのラプラタにある自宅からあなたを誘拐して以来、あなたを探し続けています。
それは1976年11月24日に起こり、あなたは生後3ヶ月だった。あなたの父と一緒にあなたを探したけれど、彼も殺されてしまった。


周りは、あなたは銃撃戦に巻き込まれて亡くなったと私に言いきかせようとした。でも、私はあなたが生きているのを知っている。きっと、あなたは生き延びて、誰かの元にいると。
私の手元にある書類には、25476305というあなたの国民番号が書かれている。
もうあなたは31歳を迎えているはず。
あなたの赤ちゃんの頃の写真と、この文章を読みながらじっくり比べて見てほしい。

あなたの父方の祖父は音楽家で、祖母である私は造形芸術家です。あなたの母方の祖父母は科学に従事し、あなたの母は文学を愛し、あなたの父は経済学の学士号を持っていた。あなたの両親は、社会へ向けての連帯と決意を持っていた。
きっとあなたは私たちのエッセンスを持っていることでしょう。あなたは他所で育ってきたにも関わらず、両親から受け継がれたものを宿しているはず。
確実にあなたの中で、この事実に関して多くの疑問が起こると思うし、その答えはみつからないこともあるでしょう。

80歳を迎えた私が望むのは、ただあなたを抱きしめ、あなたの眼差しを受け止めること。
あなたが私の元を訪れてくれたら、どんなに嬉しいか。永きにわたって、あなたと出会える日を信じて、ふんばってきた私も報われる。
クララ・アナイ。あなたを待って、探し続けます。


あなたを抱きしめるあなたの祖母、チチャ・マリアーニより




この手紙を書いた人物は、チチャ・チョロビック・デ・マリアーニ。
アルゼンチン独裁政権下で行方不明となった子ども、孫たちの家族によって結成されたグループ、「5月広場の母たち」の創始者のひとりである。


アルゼンチンでは、ラファエル・ビデラが指揮する軍事政権下により、1976年から1983年まで「汚い戦争(Guerra sucia)」が起こり、3万人近くの学生、活動家、ジャーナリストらが殺され、多くの行方不明者が出た。
その家族たちが政府に抵抗の姿勢を示し、行方不明者たちがどこにいるのかについて、政府の返答を待つために1977年4月30日から行動を起こした。毎週木曜日、大統領官邸の目の前にあり、ブエノスアイレスのシンボルである5月広場に集まったのだ。その女性たちは白いスカーフで頭を覆い、5月広場のモニュメントの周りを、ただ歩き続けた。兵士たちは、「頭がおかしい女たち」とまともに取り合わなかったが、その姿が内外から話題を集めた。いつしか彼女たちは「5月広場の母たち」と呼ばれ、ラテンアメリカを代表する闘いの姿として知られるようになった。


5月広場の母たちの姿(アルゼンチン教育テレビ局、Canal Encuentroの映像)


チチャは、行方不明者たちの家族に呼びかけていき、「5月広場の母たち」の運動は大きくなった。
司法にのっとって、行方不明になった子どもたちや孫たちを自由に捜索できるようになっていき、少しずつ失われた孫たちが姿を現すようになってきた。
チチャは「5月広場の母たち」から1989年に脱退しているが、現在もアナイを探し続けている(ラテンアメリカに配給されるアルゼンチンの大手新聞クラリン創業者ロベルト・ノブレの妻で、夫が亡くなった後は、クラリン・グループのトップのひとりとして参画するエルネスティーナ・エレーラ・デ・ノブレの義理の息子たちが、独裁政権下に奪われた乳児なのではと騒ぎになり、そのうちの娘のほうが、チチャの孫なのではという疑惑が生じた。だが未だに解決していない)
そして、本日2014年8月6日、「5月広場の母たち」の代表、エステラ・デ・カルロットの孫ギドが見つかったというニュースが世界じゅうを駆け巡った。

BBC MUNDOのニュース記事より

ギドの母は、ラウラといい、1978年6月に彼を出産してすぐに殺された。ギドはその後にさらわれ、行方がわからないままとなった。36年たった今、ようやく祖母との対面を果たすこととなったのだ。
その孫はイグナシオ・ウルバンという名で、ミュージシャン(ピアニスト)として、ジャズ界で活躍しているという。
名の知れたミュージシャンであるイグナシオがテレビに出演する姿を見た者たちが、カルロットの家系の顔ではないかと言っていたこともあったが、彼は農村の出身で、人違いとされたのだった。その後、彼が自身の出生について不確かなことに気がつき、DNA鑑定を受けたところ、99%エステラの孫という結果が出た。
アルゼンチンでは国をあげて、エステラとギドの再会を祝っている。



エステラの永きに渡る闘いを元に描いた映画、Nicolás Gil Lavedra監督『Verdades verdaderas』(2011)予告編

今回の出来事は、独裁政権で亡くなったり、行方不明になった人々の家族のなかでは、「汚い戦争」が終わった後も、その闘いが未だに続いていることを表している。

アルゼンチン軍事政権下で乳児たちを誘拐した罪で、元大統領ホルヘ・ラファエル・ビデラに禁錮50年の刑が言い渡されたのは2012年だというから、誰がきいても納得がいかない話である。ビデラは2013年に刑務所内で亡くなった。

独裁政権下で数千人の若者たちが行方不明になったなか、「母たち」の捜索により、見つかった孫たちは現在ままでで、114人。未だに数百人の孫たちの行方がわかっていない。

そして、世界では今も戦争が起こり続けている。





[ 2014/08/06 15:13 ] 日常と社会 | トラックバック(-) | CM(0)

ele-king、TABIZINEにW杯絡みの記事 

P6139600.jpg

長いようであっという間だったW杯。明後日が決勝戦です。
サッカーにほとんど縁のない私ですがW杯関連の記事2本を書かせていただきました。
1ヶ月ほど前に掲載された記事ですが、ele-kingのサッカーコラム『フットボールは誰のモノ?──映画が伝えるブラジル』と、旅のwebマガジンTABIZINEに先日掲載されたばかりの、メキシコシティLGBTIプライドマーチのレポート、『LGBTIプライドマーチで起こった「W杯差別コール合唱」の意味とは』です。W杯の闇側の記事ですが、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。





[ 2014/07/11 14:21 ] 日常と社会 | トラックバック(-) | CM(0)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。